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お世話になります。

 投稿者:Kai  投稿日:2008年11月16日(日)13時36分37秒
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  >かばさん
読んでくださってありがとうございます。第7章以降はかなり長くなって章を分けなければなりませんでした。この物語はきっかり3ページ分を隔日更新ということもあって、話数を決めずに書き始めたので、必要な部分を書いているとどうしても章ごとに長さに大きなバラつきが出てしまいました。

最初から“童話風に始まるけど内容は社会派”を狙っていました。具体的には4章からですが、童話風にするために最初に設定してあった世界観は出来るだけ書かない方向で進めていました。でも書いているうちにどうしても出さなければならなくなって、仕方なく具体的な世界観を出さざるを得なくなりました(この物語がシリーズ全体のどの部分にあって何を担っているのかは作品のテーマとは関係ないところなので別作品で出そうと思ってました)。
プロットを作る段階で手元にはちゃんと島や街の地図、建物の見取り図、主人公たちの関係図や軌跡を視覚的に判るように作ってあります。しかし余計な部分まで描写すると肝心の物語が停滞しかねないし、演出も考えてキャラの行動を優先して変更を加えたりしています。だから「書いてるあるとおりにマッピングしても全くつながらなくて不自然」と思うなら“その通り”としか言い様がありません。そういう部分にリアリティを求めてはいないからです。もっとも最初は設定していなくて必要上追加した部分も多くあってかなり支離滅裂になっているので、そういうところは私の読みの甘さ、腕の未熟さです。

因みに私は設定資料集を公開して物語を補完することを良しとはしていません。物語は小説のみで完結するべきで、設定資料を公開しないと理解できないようなものは小説としては失敗(最初から設定資料集も物語の一部とするなら話は別ですが)だと思っています。設定資料集は出しゃばらない程度に読者が“もっと知りたい、裏話が知りたい”と思ったときに存在する程度で良いと思っています。

また私が小説を書く時に心がけているのは、“如何にしてくどくど書かずに作者と同じイメージを読者に共有してもらえるか”ということです。最初は設定はリアルで細かければ良いというところで、必要のない部分まで細かく決めていました。そしてそれを出来るだけそのまま描写しようと思っていましたが、実は読者はそんなことは望んでいないのではないかと思うようになりました。
小説というのは登場人物の内面を描くものであり、登場人物の思想やその時の感情で周囲の景色もその度に違って見えるので、それを読者と共有させることがイコール感情移入だと思っています。
小説を読んで何を思うのか十人十色なので、作者はそれだけの幅を持たせながら逸脱しないような描写方法を心がけなければならない、と考えています。もちろんそれが出来ていないのは単に私の未熟さです。

ある程度は読みとばしてしまっても、全体のイメージが判るのであれば、私はそれで良いと思っています。読者に単語ひとつまで飛ばさずに理解しながら読めというのは何処か作者の傲慢のような気がします(もちろん読んでもらえるように書かなければならないという大前提はありますが)。私も小説を読む時は細かな部分を読みとばすことは良くありますが、2度3度読み返すとより理解が深まってその作品が好きになります。必要なことは何度読んでも新しい発見があって知っていても面白い、そういう希求力が登場人物やストーリーにあることが重要で、それを深めるために肉付けとしての設定があれば良いと思っています。

もうひとつ、私はリアリティという部分に必要以上に現実の設定を盛り込まないようにしています。参考資料をあたれば楽に設定を補完することが出来ますが、余りに現実にこだわり過ぎると、極論すると人によってはギャグにしかならない(『ヘットラー率いる第4帝国の台頭によって世界は第3次大戦へと突入した』なんて書くと失笑ものです)と考えています。仮に“何世紀のヨーロッパの中に存在した架空の国”というのならOKだと思いますが、特に異世界ファンタジーなら言葉も単位も違うはずで、それらを全て現実に求めるよりも、全く別の書きかたで読者が、ああ、これならあるかも、と納得してもらえることが、所謂“リアリティ”だと思います(例え全く現実味がなくとも納得すればけっこうしっくりくるのです)。細部までリアルに設定して物語に必要のない部分まで細々と説明したところで読者には“うざったい”としか思われないのではないかと思っています(それこそ設定資料集で補完する部分だと思います)。

因みに“リアリティ=リアル、ではない”というのは私が長年ガンダムファンをやっていて得た持論です。また柳田理科雄の著作を多く読んでみて、せっかくの作品なのに“検証”と称して無駄にいじくり回して否定することが全く無意味で建設的ではないということも理解しました(こういうことをしている人間は自分に客観性がないので自分のミスには全く気付かない)。それよりも作者が込めたテーマを行間から読み取ったり、劇中のガジェットを実現させるためにどうしたらいいか知恵を絞ったり、世界観や設定などを自分の中で補完することのほうが実に面白い行為だと気付きました。現にガンダムにはファンが作った設定が公式として数多く盛り込まれています。

『蒼き〜』や『FMG』に関してはまだまだ色々と思考実験をしながら書きかたを模索していた過渡期で、しかも時間的、精神的、体力的に逼迫した状況に突入する直前だったので、荒くなった部分も多くありますが、私の執筆としての考え方、理想としての小説とは何か、リアリティとは何か、という観点はそこにあります。

上で書いたことはあくまで私が小説を書く時の持論であって、作者がどんな考えをもって小説を書くか、読者がどんなふうに作品を読むかを千差万別でそれを否定するものではありません。考え方や描写に関して全く意味が噛み合わないと思った時に、私の執筆形態を知る参考にしていただければと思います。私は自分のことを“(三文)文士”、私の書く小説は“大衆小説”であると考えています。今では使われなくなった言葉ですが自分自身を表するに合っているのではと思います。

今後の執筆においては出来る限り自分の考えに忠実に執筆を進めていきたいと考えています。もっともそういうコントロールは非常に難しい部分ではあるのですが(さらに言えば、作者が読者に対してこういうことを書いて説明しなければならないこと自体が実力がない証拠で非常に情けないことですが)。

※余談ですが、滝沢馬琴は南総里見八犬伝で『婦女子のねむけ醒しとなれば幸いなり』と言っています。逆に坪内逍遥は『小説神髄』で「小説の美術たる由を明らめまくせば、まず美術の何たるをば知らざるべからず」と小説が芸術であることを説明しています。
私にとって小説を書くことは『婦女子のねむけ醒し』に有意義に時間を使ってもらえるような、生活や時には生命すら削って行う創作なのです。

http://homepage3.nifty.com/kai_victory/

 

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