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>かばさん
設定資料は私もあくまで読者が興味を持った時の付属品程度の意味合いで捉えています。ただ理解を深めたいと思う読者にとっては確かに有意義だとは思いますが、本編である小説の理解は作者と読者では必ずどこかで乖離します。個人個人の考え方が違う以上、例え作者が声高にテーマを叫んでみたところで、読者は行間から全く違うものを読み取ることもあります。小説が読者がいて初めて完成するものであるならば、それは決して間違った結論ではないと思います。ならば設定資料はその軌道修正を求めるような影響力のあるものではなく、それよりもさらに一歩引いた位置(しかし読者に「いや、まてよ?」と思わせるほど中身のある)にあるのが良いのではと思っています。
世界観を出来るだけ書かない=読者が持っている普遍的な(或いはもっと幅を効かせた)世界観に任せる、という意味として受け取っていただければと思います。私は基本的に読者に“世界観を持っていること”を前提とした要求は致しません。それは創作者として物語を提出する側の傲慢(或いは手抜き)であるような気がします。普通、“現実に則した設定”をしていても直ぐに「じゃあ現実はどうなっているのか?」と考える読者は少ないのではないかと思います。それよりも読者自身の想像力や今までの経験や知識から自分なりの作品世界を構築していただけるものと信じています。
そういう意味では個人的にガイドラインは常に引けていると思っています。読者は作者が考える以上に頭が良くて良く理解をしてくれて(私は今までいただいた感想から、私の作品の読者は非常に精神年齢が高い人が多いと思っていました)、それでいて“作者が望むような”知識や考え方を持っているとは限りません。私はそういう部分に“暗黙の了解”を求めるのではなく、少々ブレても脱線しない程度のレールを引くことを目指しています。もちろん最終的には作者が描きたいテーマへと帰結させるのが目的です(それが出来ないのはあくまで私の未熟さ故です)。
小説でストーリーやキャラを重視するのは当然のことです。むしろ設定はそれに肉付けするもので、決して設定がメインになることはないはずです。
商業出版でも重要なのはストーリーやキャラで、例え設定がメチャクチャでもストーリー性が高くキャラに感情移入しやすい作品が良いとされます。その逆で設定が良くて他が凡庸な作品で高い評価を受けているものを私は余り知りません(「設定だけは細かいんだけどね」という皮肉は良く聞きますが)。
私のイメージとしてはアルセナはちょっと世間知らず過ぎるきらいはありますが、さほど“アホ”とは思ってません。私はSF、ファンタジー、サスペンスから現代もの、ライトノベルまで無節操に本を読みますが、それらに出てくるキャラと比較してもアルセナが度を越したアホな子だと思ったことはありません。それよりもさらにアホな主人公、或いは危険思想な主人公を数多く知っています(あの組織は危険だから完全に潰してしまえ!とか、襲われたから正当防衛で敵を皆殺し!とか)。
因みに現実の世界で私はまさに“想像を絶する”アホに何人も出会いました。天才(達人)とバカは紙一重といいますが、本当にアホ(或いは天才)は私が「こんなこと絶対に有り得ないだろう」というそのさらに上をいっています。まさに言葉を失うというか唖然とするようなアホさ加減で、そういう意味では天才(達人)やアホを描写する時に、私が想像する程度では真性と呼べるまで描写できないのではないか不安になるほどでした。
私は創作に必要ならエンターテインメントに限らず、あらゆるものに手を出すように心がけていますがそれだけでは不十分で、真性を描き切るためにどこまで自分の中の常識や固定観念を打ち破れるか、それがどれほど困難なことかを考えるようになりました。
まあ、そこまで真性を描く必要があるのかどうかは別問題ですが、戦わなければならない自分の闇や殻は非常に根深く厚いと思っています。
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