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なるほど

 投稿者:Kai  投稿日:2008年11月18日(火)01時09分5秒
  >かばさん
ご意見ありがとうございます。
ちょっとした認識のズレや私の言葉が足りなくて誤解を招いてしまった部分、私にとっては非常に不可解な部分もありますが、総じて執筆信条や哲学はお互いにかなり違うようですね。
こういう意見は平行線のまま交わることは少ないので私のほうはこれでもう切り上げさせていただきたいと思いますが、参考になるところもあって私にとっては有意義でした。

http://homepage3.nifty.com/kai_victory/

 


私とは違いますね

 投稿者:かば  投稿日:2008年11月17日(月)22時02分57秒
  こんにちは、かばです。

> 小説でストーリーやキャラを重視するのは当然のことです。むしろ設定はそれに肉付けするもので、決して設定がメインになることはないはずです

私とは考え方が違いますね。
もちろん、私もストーリーやキャラがどうでもいいという訳ではありませんが、私にとっては作品世界(設定)そのものも‘キャラ’であり、場合によっては‘影の主役’なんです。極端なことを書くと、着想時にはストーリーやキャラが主でも、原稿を書き始めるときには作品世界を描くための‘小道具’になっているということもあります。

また、私は中編以上の小説は著者のイメージした空想(キャラやストーリーだけでなく、背景まで含めた全体)を言葉で伝えようとする表現形式だと思っているので、キャラやストーリー以外は十人十色の空想に任せれば良いとは思いません。ストーリー(ネタ、オチ)だけで引っ張れるのは掌編小説までだし、真に十人十色の空想で自由に味付けしてもらえば良いというのであれば‘シナリオ’‘戯曲’という別の表現形式があると思っています。

そして、私は著者が空想を伝えることとその空想を読者がどう受け止めるかということを区別して考えているので、その点も違うと思いました。

> 私のイメージとしてはアルセナはちょっと世間知らず過ぎるきらいはありますが、さほど“アホ”とは思ってません

私は人間を含めたすべての生き物(昆虫や微生物のような数で勝負の生き物の場合は群れや種で考える)は、どんなにアホに見えても、

 1.(精神的、身体的に)打たれ強い(回復力が強いを含む)
 2.切り替えが早い(忘れるのが早いを含む)
 3.甘える(保護を求める)のがうまい
 4.危険(自分に向けられた怒りなど)を察知するのがうまい
 5.(卑屈だったり、相手に罪悪感をかき立てるなどで)身を守るのがうまい

などの‘知恵’を持っていると考えているので、これらすべてを感じられず、体験などから学ぶこともないらしいアルセナは生存能力のない‘アホな子’と思いました。私は単に知力や常識の有無という意味で‘アホな子’と書いた訳ではないので、その点補足させてもらいます。

http://www.jsdi.or.jp/~kaba/

 

ありがとうございます。

 投稿者:Kai  投稿日:2008年11月17日(月)01時08分53秒
  >かばさん
設定資料は私もあくまで読者が興味を持った時の付属品程度の意味合いで捉えています。ただ理解を深めたいと思う読者にとっては確かに有意義だとは思いますが、本編である小説の理解は作者と読者では必ずどこかで乖離します。個人個人の考え方が違う以上、例え作者が声高にテーマを叫んでみたところで、読者は行間から全く違うものを読み取ることもあります。小説が読者がいて初めて完成するものであるならば、それは決して間違った結論ではないと思います。ならば設定資料はその軌道修正を求めるような影響力のあるものではなく、それよりもさらに一歩引いた位置(しかし読者に「いや、まてよ?」と思わせるほど中身のある)にあるのが良いのではと思っています。

世界観を出来るだけ書かない=読者が持っている普遍的な(或いはもっと幅を効かせた)世界観に任せる、という意味として受け取っていただければと思います。私は基本的に読者に“世界観を持っていること”を前提とした要求は致しません。それは創作者として物語を提出する側の傲慢(或いは手抜き)であるような気がします。普通、“現実に則した設定”をしていても直ぐに「じゃあ現実はどうなっているのか?」と考える読者は少ないのではないかと思います。それよりも読者自身の想像力や今までの経験や知識から自分なりの作品世界を構築していただけるものと信じています。
そういう意味では個人的にガイドラインは常に引けていると思っています。読者は作者が考える以上に頭が良くて良く理解をしてくれて(私は今までいただいた感想から、私の作品の読者は非常に精神年齢が高い人が多いと思っていました)、それでいて“作者が望むような”知識や考え方を持っているとは限りません。私はそういう部分に“暗黙の了解”を求めるのではなく、少々ブレても脱線しない程度のレールを引くことを目指しています。もちろん最終的には作者が描きたいテーマへと帰結させるのが目的です(それが出来ないのはあくまで私の未熟さ故です)。

小説でストーリーやキャラを重視するのは当然のことです。むしろ設定はそれに肉付けするもので、決して設定がメインになることはないはずです。
商業出版でも重要なのはストーリーやキャラで、例え設定がメチャクチャでもストーリー性が高くキャラに感情移入しやすい作品が良いとされます。その逆で設定が良くて他が凡庸な作品で高い評価を受けているものを私は余り知りません(「設定だけは細かいんだけどね」という皮肉は良く聞きますが)。

私のイメージとしてはアルセナはちょっと世間知らず過ぎるきらいはありますが、さほど“アホ”とは思ってません。私はSF、ファンタジー、サスペンスから現代もの、ライトノベルまで無節操に本を読みますが、それらに出てくるキャラと比較してもアルセナが度を越したアホな子だと思ったことはありません。それよりもさらにアホな主人公、或いは危険思想な主人公を数多く知っています(あの組織は危険だから完全に潰してしまえ!とか、襲われたから正当防衛で敵を皆殺し!とか)。
因みに現実の世界で私はまさに“想像を絶する”アホに何人も出会いました。天才(達人)とバカは紙一重といいますが、本当にアホ(或いは天才)は私が「こんなこと絶対に有り得ないだろう」というそのさらに上をいっています。まさに言葉を失うというか唖然とするようなアホさ加減で、そういう意味では天才(達人)やアホを描写する時に、私が想像する程度では真性と呼べるまで描写できないのではないか不安になるほどでした。
私は創作に必要ならエンターテインメントに限らず、あらゆるものに手を出すように心がけていますがそれだけでは不十分で、真性を描き切るためにどこまで自分の中の常識や固定観念を打ち破れるか、それがどれほど困難なことかを考えるようになりました。
まあ、そこまで真性を描く必要があるのかどうかは別問題ですが、戦わなければならない自分の闇や殻は非常に根深く厚いと思っています。

http://homepage3.nifty.com/kai_victory/

 
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難しいですね

 投稿者:かば  投稿日:2008年11月16日(日)18時08分59秒
  こんにちは、かばです。

私も「登場人物紹介・用語説明」はおまけのようなものとして付けているのであって、一切読まなくても本文の中で少しずつ分かってくるようにしているつもりです。強いて言うなら、読者が本文の描写で分からなかった、混乱した(筆者である私の失敗)場合の‘保険’というところでしょうか。読者にとっても筆者にとっても理解の齟齬が残ったままというのは不幸なことですし、ハイファンタジーやSFのように独自の世界を設定している場合には有意義なものだと思っています。それに、本文以外に何か付いているとなんとなく筆者の愛着の強さを感じたり、読者としても得したような気がしますから。

ただ、ハイファンタジーやSFでは読者の自由な想像に任せるにしても、一定のガイドラインは必要であると思います。現実社会に似通ったところが多ければ多いほど‘現実社会ではどうなっているか?’ということがガイドラインになりますけど、違っているところではちゃんとガイドラインがないと私のような‘迷子’が続出すると思います。

以後、気になったところを書きます。

> 童話風にするために最初に設定してあった世界観は出来るだけ書かない方向で進めていました

「世界観を出来るだけ書かない」というのは‘読者が持っている世界観が通用しますよ’という暗黙の約束が成立した上での省略であって、独自の世界観を展開している場合には無理が出てくると思います。

> そういう部分にリアリティを求めてはいないからです

なるほど、ストーリーや登場人物で勝負ということですね。私の好みを押し付けてしまって申し訳ありませんでした。ただ、アルセナの‘アホな子’振りは「現実にこんなヤツいるか!」とツッコミを入れたくなるくらいだったので、もう少し‘人の顔色をうかがうのは得意’‘我慢強い’といった設定を追加した方が良いと思います。

> 今後の執筆においては出来る限り自分の考えに忠実に執筆を進めていきたいと考えています

頑張ってください。もっともなことですし、私も今後は今までと違う書き込みをさせてもらいます。

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お世話になります。

 投稿者:Kai  投稿日:2008年11月16日(日)13時36分37秒
  >かばさん
読んでくださってありがとうございます。第7章以降はかなり長くなって章を分けなければなりませんでした。この物語はきっかり3ページ分を隔日更新ということもあって、話数を決めずに書き始めたので、必要な部分を書いているとどうしても章ごとに長さに大きなバラつきが出てしまいました。

最初から“童話風に始まるけど内容は社会派”を狙っていました。具体的には4章からですが、童話風にするために最初に設定してあった世界観は出来るだけ書かない方向で進めていました。でも書いているうちにどうしても出さなければならなくなって、仕方なく具体的な世界観を出さざるを得なくなりました(この物語がシリーズ全体のどの部分にあって何を担っているのかは作品のテーマとは関係ないところなので別作品で出そうと思ってました)。
プロットを作る段階で手元にはちゃんと島や街の地図、建物の見取り図、主人公たちの関係図や軌跡を視覚的に判るように作ってあります。しかし余計な部分まで描写すると肝心の物語が停滞しかねないし、演出も考えてキャラの行動を優先して変更を加えたりしています。だから「書いてるあるとおりにマッピングしても全くつながらなくて不自然」と思うなら“その通り”としか言い様がありません。そういう部分にリアリティを求めてはいないからです。もっとも最初は設定していなくて必要上追加した部分も多くあってかなり支離滅裂になっているので、そういうところは私の読みの甘さ、腕の未熟さです。

因みに私は設定資料集を公開して物語を補完することを良しとはしていません。物語は小説のみで完結するべきで、設定資料を公開しないと理解できないようなものは小説としては失敗(最初から設定資料集も物語の一部とするなら話は別ですが)だと思っています。設定資料集は出しゃばらない程度に読者が“もっと知りたい、裏話が知りたい”と思ったときに存在する程度で良いと思っています。

また私が小説を書く時に心がけているのは、“如何にしてくどくど書かずに作者と同じイメージを読者に共有してもらえるか”ということです。最初は設定はリアルで細かければ良いというところで、必要のない部分まで細かく決めていました。そしてそれを出来るだけそのまま描写しようと思っていましたが、実は読者はそんなことは望んでいないのではないかと思うようになりました。
小説というのは登場人物の内面を描くものであり、登場人物の思想やその時の感情で周囲の景色もその度に違って見えるので、それを読者と共有させることがイコール感情移入だと思っています。
小説を読んで何を思うのか十人十色なので、作者はそれだけの幅を持たせながら逸脱しないような描写方法を心がけなければならない、と考えています。もちろんそれが出来ていないのは単に私の未熟さです。

ある程度は読みとばしてしまっても、全体のイメージが判るのであれば、私はそれで良いと思っています。読者に単語ひとつまで飛ばさずに理解しながら読めというのは何処か作者の傲慢のような気がします(もちろん読んでもらえるように書かなければならないという大前提はありますが)。私も小説を読む時は細かな部分を読みとばすことは良くありますが、2度3度読み返すとより理解が深まってその作品が好きになります。必要なことは何度読んでも新しい発見があって知っていても面白い、そういう希求力が登場人物やストーリーにあることが重要で、それを深めるために肉付けとしての設定があれば良いと思っています。

もうひとつ、私はリアリティという部分に必要以上に現実の設定を盛り込まないようにしています。参考資料をあたれば楽に設定を補完することが出来ますが、余りに現実にこだわり過ぎると、極論すると人によってはギャグにしかならない(『ヘットラー率いる第4帝国の台頭によって世界は第3次大戦へと突入した』なんて書くと失笑ものです)と考えています。仮に“何世紀のヨーロッパの中に存在した架空の国”というのならOKだと思いますが、特に異世界ファンタジーなら言葉も単位も違うはずで、それらを全て現実に求めるよりも、全く別の書きかたで読者が、ああ、これならあるかも、と納得してもらえることが、所謂“リアリティ”だと思います(例え全く現実味がなくとも納得すればけっこうしっくりくるのです)。細部までリアルに設定して物語に必要のない部分まで細々と説明したところで読者には“うざったい”としか思われないのではないかと思っています(それこそ設定資料集で補完する部分だと思います)。

因みに“リアリティ=リアル、ではない”というのは私が長年ガンダムファンをやっていて得た持論です。また柳田理科雄の著作を多く読んでみて、せっかくの作品なのに“検証”と称して無駄にいじくり回して否定することが全く無意味で建設的ではないということも理解しました(こういうことをしている人間は自分に客観性がないので自分のミスには全く気付かない)。それよりも作者が込めたテーマを行間から読み取ったり、劇中のガジェットを実現させるためにどうしたらいいか知恵を絞ったり、世界観や設定などを自分の中で補完することのほうが実に面白い行為だと気付きました。現にガンダムにはファンが作った設定が公式として数多く盛り込まれています。

『蒼き〜』や『FMG』に関してはまだまだ色々と思考実験をしながら書きかたを模索していた過渡期で、しかも時間的、精神的、体力的に逼迫した状況に突入する直前だったので、荒くなった部分も多くありますが、私の執筆としての考え方、理想としての小説とは何か、リアリティとは何か、という観点はそこにあります。

上で書いたことはあくまで私が小説を書く時の持論であって、作者がどんな考えをもって小説を書くか、読者がどんなふうに作品を読むかを千差万別でそれを否定するものではありません。考え方や描写に関して全く意味が噛み合わないと思った時に、私の執筆形態を知る参考にしていただければと思います。私は自分のことを“(三文)文士”、私の書く小説は“大衆小説”であると考えています。今では使われなくなった言葉ですが自分自身を表するに合っているのではと思います。

今後の執筆においては出来る限り自分の考えに忠実に執筆を進めていきたいと考えています。もっともそういうコントロールは非常に難しい部分ではあるのですが(さらに言えば、作者が読者に対してこういうことを書いて説明しなければならないこと自体が実力がない証拠で非常に情けないことですが)。

※余談ですが、滝沢馬琴は南総里見八犬伝で『婦女子のねむけ醒しとなれば幸いなり』と言っています。逆に坪内逍遥は『小説神髄』で「小説の美術たる由を明らめまくせば、まず美術の何たるをば知らざるべからず」と小説が芸術であることを説明しています。
私にとって小説を書くことは『婦女子のねむけ醒し』に有意義に時間を使ってもらえるような、生活や時には生命すら削って行う創作なのです。

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第7章(1)を拝読しました

 投稿者:かば  投稿日:2008年11月15日(土)21時00分21秒
  こんにちは、かばです。

第7章はずいぶん長いんですね。
アルセナの身長とほぼ同じ長さもある‘まどろみの剣’は槍として使った方がはるかに有効なのではないかと気になって仕方ありませんでしたが、展開のリズムがちょうど良かったです。また、登場人物たちの性格や関係がなじんできた感じで、今後は世界観がさらにすっきりなじんでくるのかなと期待しています。

ただ、私が丁寧語のハイファンタジーに慣れていないせいか、文章に引っ掛かりを感じることが多くて、折角の描写をずいぶん読み流してしまうしかなかったのが残念でした。また、世界設定がその場その場で追加されていく感じで、読み進んでも頭の中にはっきりしたイメージが浮かんでこないのも残念でした。

> 鐔に付けられた楔を、背中にある部分鎧の留め金に引っ掛けているだけです

と私には読めない専門的な用語を使ってリアリティを出すのも大切ですが、主な舞台となる町の地図や各地区の雰囲気、下水道や建物の簡単な図面、主な場面での登場人物(端役も含む)の配置図などもあらかじめ準備されておくと、描写に統一感が出て、読者にもすっとイメージが浮かぶようになるのではと思います。

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ありがとうございます。

 投稿者:Kai  投稿日:2008年10月26日(日)15時55分24秒
  >かばさん
わざわざご回答いただきありがとうございます。
実に興味深い内容でした。本編の改訂予定はありませんが、今後の執筆の参考にさせていただきたいと思います。

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指摘させていただきます

 投稿者:かば  投稿日:2008年10月23日(木)20時29分59秒
  > どの辺りが具体的に判りにくいのか、教えていただければ幸いです。

とのことなので、長々と引用させてもらいながら指摘させていただきます。
偉そうに聞こえたりするかもしれませんが、不快になった場合は適当に削除してくださるようお願いいたします。
なお、引用した箇所は例として使わせてもらっただけで、他の箇所でも似たような分かりにくさがあったとお考えください。

1.> 師匠の斜め上からの打ち込みをかわし、その切り返した真横への一閃を受け流した時、アルセナの予想以上に棒が流れました。その瞬間、師匠の体が僅かに傾きました。

師匠は右利き(違ったでしょうか)と考えて、師匠から見て右上から左下に振り下ろした後師匠の腰ぐらいの高さ(アルセナの胴ぐらいの高さ)で振り下ろした速度以上の高速で真横に振り抜いたのだろうと考え、アルセナはその横薙ぎを右手は棒の柄を握り、左手は頭の近くで棒に添える姿勢で身体を少し左にひねりながら後ろに大きくそらせて受け流したと考えましたが、後から状況的にそうだろうと分かっただけで、最初に読んだときは勢いに任せて読み流す(シーンを思い浮かべるのは後回し)にするしかありませんでした。

2.> 素早く体を屈め、地面を蹴ります。アルセナは地面の直ぐ上を飛ぶように疾駆しました。同時に棒の柄に両手をかけ、しっかりと握ります。更に踏み出した足でもう一度地面を蹴ったアルセナの体は、老婦人の体を斜め横に駆け抜けました。

アルセナは右利き(でしたよね?)なので棒の柄はアルセナの身体の右側、腰の辺りで棒の先はアルセナの身体の左側前方にある(棒がアルセナの左肩から頭の左側のどこかに触る?)のだろうと考えましたが、最初に読んだときは棒をどう構えているのかまったく分からなくて、棒の先はアルセナの身体の右側後方にあり、逆手に構えているのだろうかとも思いました。

また、アルセナは老婦人から見て左側(アルセナから見て右側)を駆け抜けたのだと考えましたが、こちらも最初に読んだときはどちら側を駆け抜けたのか分かりませんでした。

そして、1.とのつながりを改めて考えると、強引に上体を起こして身をかがめるより、一度バク転して(できるのなら)勢いを受け流しながら体勢を立て直しても良かったなと思いました。

3.> 視線は老婦人から、瞬き一つの間も離しません。

アルセナは蹴った勢いを最大限活かすために一直線に駆け抜けたと考えたので、頭をアルセナの身体の左側に不自然なくらいにひねることになり、バランスを崩すだけで不自然だと思いました。このころのアルセナの習熟度なら見ていなくても老婦人の動きを予測できるくらいになっていた(でなければ普段の動きとの違いも見抜けない)と思います。

4.> 体を三分の一回転させ、その勢いで棒を師匠に向けます。更にもう一度地面を蹴って、老婦人の腰よりも低い位置から一気にそれを突き出しました。

アルセナは右足の踏み込みで強引に前進する勢いを殺してその反動で身体を120度左に回転させ、さらに左足で回転する勢いと身体が前進する勢いを殺して棒だけ勢いに乗せて突き出したと考えましたが、2.3.で引っ掛かっていたので最初は読み流すしかありませんでした。また、棒はアルセナの背丈ほどもあり、その棒の先が老婦人の腰よりも低い位置にあったのですから、今改めて考えるとアルセナは顔面を地面にこすりつけんばかりの低い姿勢で駆け抜け、同時に、両膝をそれぞれ胸に打ち込む勢いで強引に踏み込んだことになると思いました。

5.> アルセナの動きに呼応して正面を向きました

師匠はいくらか師匠から見て右側に身体を振られていたと考え、その体勢から強引に左に180度ターンしたと考えましたが、今細かく考えてみると身体を振られた勢いで右に180度ターンした方が圧倒的に有利だと思いました(理由は後述)。

6.> 狙うは一点、師匠の右手の甲!
 アルセナはそこにだけ焦点を定めていました。
 突き出した棒は師匠によって外に弾かれました。

師匠は棒を師匠から見て左上から右下へ反時計回りに円を描くように振り下ろし、アルセナが突き出した棒を身体の右側(アルセナから見て左側)に弾き、二人の棒が交差した角度は比較的浅い(平行に近い)と考えましたが、最初読んだときは師匠の右手の甲が突き出した瞬間にどの位置にあったのか分からなかったので読み流すしかありませんでした。また、考えた結果としても右手の甲の未来予想位置を狙って(突き出した瞬間は右脇腹ぐらいを偽装で狙って)突き出したのだと思いますが、師匠の棒の振り方が不自然になり、変な気がします。

なお、5.で師匠が右に180度ターンするのであれば、ターンしながら棒の先を下に向け、そのままアルセナが突き出した棒の先を直角に近い角度で右(外側)に弾くことができますし、アルセナが手首を返すことを無効にもできます。また、ターンがアルセナの突きより遅くなっても対応しやすいです。

7.> それを手首を返してくるりと切っ先を小さく回します。そしてそれがアルセナにとって一番打ち込み易い位置に来た瞬間、全身の力を瞳、腕、そして棒の切っ先に込めました。強い想いも同じように棒の先に込めます。
 まるで止まったままの師匠に向かって、アルセナの全てを込めた一振りが突き出されました。
 それは吸い込まれるようにして師匠の手の甲を打ちつけました。

アルセナは右下方向から弾かれた棒の先をそのまま時計回りに返して師匠の右手の甲を打ったのだと考えましたが、今改めて読み直すと突きを出し直しているみたいですね。剣道の小手(やったことはないですが、多分手の甲をたたくように打ち付けることで手を開かせ、竹刀を落とさせることで一本とする技)のように手の甲を返した勢いでたたいているのだと考えていたので、突きを出し直したとしか読めない描写は不自然と思います。

以上です。
多分、Kaiさんが考えられていた殺陣と違うところもあると思いますが、私にはそう読み取れたと思っていただければ幸いです。

http://www.jsdi.or.jp/~kaba/

 

いつもありがとうございます。

 投稿者:Kai  投稿日:2008年10月21日(火)02時19分50秒
編集済
  >かばさん
確かに大きな変化かも知れませんね。もっともアルセナはこれからもほとんど成長しないままに進んでいきます。恐らく最後までそんなに大きな成長はないと思います。
剣の修行で学んだことは、単にアルセナの行動の選択肢を幾つか増やしただけで、RPG的成長インフレはこの物語には相容れないと思っています。そういうのとは別のところに私のやりたいことがあるので、まだしばらくはイライラさせられると思いますが、広いココロでそういうアルセナを愛でていただいたらと思います。

>川の中州
演出です。まあ、沢の水は冷たいので無意識で這っていったんじゃないでしょうか。長く水に浸かっていると風邪を引きそうだし、体がふやけてしまうし……。

>水面に
演出です。まあ、私も脚のつかない深さのプールや海で泳いだことが何度もありますが、足先が浮かび上がって困ったことはないので……。

>冒険者組合
基本的にここが担っているのは2点で、ひとつは未踏の地の探索や脅威を排除するための要員の派遣、そして犯罪者を出さないために職にあぶれた者を囲っておくための保護政策(のようなもの)。この辺りはFMGのアコモデイター制度と同じようなものですが、お役所仕事なのでマニュアルにおんぶに抱っこのズサンなものなのでしょう。

>アルセナの視点で
私は基本的に三人称でも視点を変えずに語り部を固定することが多いですが、それでも視点の固定には苦労させられています。神視点になってないか、他の視点と混ざってないか、唐突に視点が変わっていないかなど常に意識してやっていますが、まだまだ徹底しきれません。
どの辺りが具体的に判りにくいのか、教えていただければ幸いです。

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お待たせしました。

 投稿者:Kai  投稿日:2008年10月21日(火)02時12分51秒
  >あわっ子さん
なかなか時間がとれませんでしたが、何とか復旧させることができました。
これからもよろしくお願いします。

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